とっとりで暮らす

東京から鳥取へ。佐治町という小さな町に引っ越した人のブログです。

納涼祭&津無大黒舞

お盆二日目

この日は暮らす集落「津無」の納涼祭ということで、朝7時半から祭りの準備、設営を行いました。
テントの設営は、先月の直売所のお祭りで習っていたので、足手まといにならずに良かった。それにしても皆の作業が早く、サクサクと一時間程で終了。

お昼過ぎから、津無に伝わる伝統芸能「津無大黒舞おどり(つなしだいこくまいおどり)」を初盆のお宅に踊りに行くのに同行させて頂く。

 

~エコレ大黒舞を見んさいなァサテめでたいな大黒~、全国各地に古くから踊り継がれる庶民の踊り、大黒舞の中でも極めてゆるやかなテンポと素朴さに特徴がある「津無大黒舞(つなしだいこくまい)おどり」。
 言い伝えでは、「大黒様が八上姫とこの村の飯盛(いいもり)山に散歩の途中、津無に立ち寄った時に村人が踊って歓迎したもの」と言われています。
 大黒天になぞられた紫頭巾、薄紫の着物にたっつけ.、そして、足元はわら靴という衣装。踊りは単調に見えますが、気持ちの豊かさを感じられ、祝い言葉を使った歌詞からも「めでたい踊り」とされてきました。
 中国四国民俗芸能大会や国民文化祭岩手大会、同じく鳥取大会など、数多くの催しに出演しています。「津無郷土芸能保存会」は、地域に伝わる「大黒舞」や「因幡大津」、「浪花節」などに代表される手踊りを今後も継承していきます。 

引用-鳥取市中山間地域の宝(リンク)


納涼祭での大黒舞


踊り自体は一週間前に教わり始め、一曲だけは出来るようになったのですが、唄い手の小谷さんが「阿久津君ももちろん踊ってもらう!」とのことで、一曲だけ本番に参加しました。踊り終えて、横に捌けて何もできないのも悲しくなり、次の出陣の際には全部出来るようになりたい。と思うのです。(こう心境にさせる戦略だったのか..!?冗談です。)

帰ってきてからお話をすると、東京から来た自分みたいな人が、集落の伝統芸能に参加をしているのを、集落の人達に見てもらうことに意義があったのだとおっしゃられた。年々参加する人が減っていき、このままでは伝統が途絶えてしまう。自分達がこの伝統を終わらせたくないという気持ちがひしひしと伝わって来ました。
僕はといえば、「俺がこの伝統を引き継いでいくんだ!!」なんて大層な意気込みは無く、ここの人達が好きで、一緒に酒を飲めるから。という気持ちで付いてきたのですが、大黒舞を踊っていると、同じ動きの繰り返しが、東京で昨年踊った錦糸町河内音頭を彷彿とさせ、だんだんトリップしていく感覚に陥るのです。これは面白いなと。
踊りというものの根底がここにあるのでは。と勝手に想像しながら、出来る限りはムラ(集落)の行事に参加していければ良いなと思うのです。
酒と踊りで楽しくなるというのは、クラブカルチャーにだって通じるものがあるのではないでしょうか。


そして夕方からは納涼祭が始まりました。
住んでいる場所で班が決まっており、僕の班は綿菓子担当に。(僕と隣の西尾さんで回していましたが。)普段あまり会うことのない、中学生や若い方の来ていて新鮮でした。でもやはりシャイな子が多いなぁ。と思いました。(とはいえ自分もそうだった。)

みのり会の傘踊り。曲はなぜか細川たかし。
 


ここでも大黒舞を披露。
なかなか大変でしたが、夜9時位には終了。

大黒舞で初盆の家を訪問した際、そのお宅の親戚一同が集まって、仏壇は華やかに飾られ賑やかで、その光景になんだかぐっと来てしまいました。これが日本の盆だ。
ザ・親戚の叔父さんっぽい方は僕らに酒を進め、思春期の若人達はシャイを発揮していて、子供たちは外でキャッキャ遊ぶ。若奥様方はカメラをまわし、若旦那さん方は若者らしさを発揮する。

まさしく盆の風景だった。