とっとりで暮らす

東京から鳥取へ。佐治町という小さな町に引っ越した人のブログです。

しごとバーを振り返る

12/14(金)に東京の永田町GRID1F、tiny space kitchenにて開催された、「しごとバー鳥取移住起業ナイト」に出演をさせて頂きました。
久々の東京でしたので、前日入りをして旧友と酒を飲んだり、今の仕事に繋がる話が出来たり。ふらふら東京を散歩をしたり。そうだ東京はわたしのふるさとでした。

 

当日は色々な方とお話が出来て良い会だったのですが、個人の話をする場面では、時間がカツカツで考えていることを上手く伝えることが出来なかったなぁと、不完全燃焼感否めない感じでした。(微妙なライブをしてしまったあの感じを思い出した。)

 

自分の伝える技術が至らなかったのは勿論だけれども、割と話すことの準備もしてたし、この機会に色々と考えたこともあったので、せっかくなのでこの場でまとめてみようかと思います。このままだと自分の中の完了届が出せない。FUGAINAI。

次にこんな機会が来るかもわからないですし。移住バンザイ!とか言わないですし。

 

当日に来られた方も、来られなかった方も、長い文章ですが興味のある方は読んでみてください。

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■ なぜ移住を考えたのか、鳥取を選んだのか


20代の初めころから東京の下高井戸という街で一人暮らしを始めて、「自分が暮らす街を好きになること」、「暮らしている街や人に興味を持つこと」で生活は楽しくなるんだと実感したところから始まります。

 

同じ東京でも場所によって、人の気質や、街の匂い、雰囲気が全然違う。それならば、東京をもっと知ろうと思い、23区内を歩き回る活動を始めました。何か目的を作った方が楽しいと思い、東京の地形を調べたり、「一丁目一番地」の看板や「コインパーキングの精算機」の写真を取り溜めるようになりました。日常の中から「あそび」を見つける楽しさに目覚めました。

僕は自分が生まれ育った東京のことを何も知らなかったのだと思い、それならば「地方の暮らし」も知りたい。そんな風にして移住を考えるようになりました。23歳くらいの時です。

 

当時は「移住」に関して力を入れている県は、高知県や鳥取県くらいなもので、何故だか行ったこともない鳥取に惹かれました。(最近はどこの県も力を入れており、鳥取は埋もれがちだと中川氏がおっしゃっていました。)
丁度、「たみ」のクラウドファンディングを行なっていた、うかぶLLCなんかの影響もあったのかもしれません。面白い人達がいるぞと。

 

音楽活動を行なっていたので、ツアーで鳥取に行ったことがある友人 ( 村上大樹、村上キスミワコ夫妻 ) 伝いに鳥取の人を紹介してもらい、今の妻と初めて鳥取に来たのが2013年の年末。その時にお世話になったのが、今一緒にどぶろくを製造している竹村さんです。

この時に、鳥取の東部、中部、西部を見て周ったのですが、一番しっくり来たのが、今暮らしている東部地域で、なんというか直感的なものですが「ちょうどよさ」を感じました。

 

鳥取でどんなことをしようかと、色々なことを考えていましたが、先に「農村で暮らしてみたい」という思いがありました。しかし、農村地域に入り込む術、家を借りる方法など、どこにも情報がありませんでした。ちょうど良いタイミング(アパートの更新月)で佐治町の「地域おこし協力隊」の二次募集が出ていることを教えていただき、応募をしてここで暮らし始めたのが始まりです。


■ 仕事について


大まかに3-12月の農業を主として( 主にしないと! )、10-5月は地元企業「さじ弐拾壱」の事業の「どぶろく どんでん返し」に携わり、醸造、販売、広報、ウェブ関連の管理や製作、グッズのデザインなどをしています。

冬季の積雪時には、大型特殊免許を取得し除雪車の運転をしています。( 45歳以下の県の補助+会社補助を使わせて頂き、自己負担は1/3でした。 ) その他にも、町の食堂の宴会世話人や、単発での草刈りバイトや、その他作業。呼ばれれば動ける限りは動きます。そのほかに町外でのバイトもしています。

現状では、農業収入だけで暮らしていけているわけでもないので、暮らしている佐治町で働ける仕事があることはとてもありがたい話です。

 

もともと、それらが出来たわけでもなくて、こちらに来て出来るようになったことがほとんど。出来ないことも「出来ます!(やります!)」といった姿勢が大切な気がします。
それで、雇い側がまた頼もうとなるか、もう頼まないとなるかだけれども、まずはやってみる。若い人が少ない場所では、新しいことを始められる、身につけるチャンスが多くあります。

 

たまに地方に興味がある、学生や若い人と話すことがあるのですが、「かっこいい仕事をしたい。」といった風潮を感じることがあります。かっこいい仕事ってなんだろうか。クリエイティブ(?)な仕事か、横文字を多用する仕事でしょうか。
どんな仕事であれ、仕事自体の格好良さよりも、その仕事をしている人自身の格好良さの方が大切な様に思えます。格好良い人は、何をしていても格好良い。そんな人に私もなりたい。

 

あと、一緒に仕事をする人は、好きなものが同じ人よりも、嫌いなもの(かっこ悪い)と思うものが同じ人の方が、良いものが作れるのではないかと思っています。


■ 子育てについて


3歳になる娘がいます。
親も親類も近くにいるわけではないから、もし何かがあった時も全て自分達でやるしかありません。この日だけ保育園のお迎えをお願い!とかも出来ません。

 

たまに夫婦喧嘩をしたからって、都会のようにちょっと居酒屋やコンビニに逃げることも出来ない。山の中だから。最寄りのコンビニまで6kmあるから。妻、子どもだってそうです。捌け口が少ない分ストレスを溜め込んでしまい易くなります。絶妙なバランスを保っていかないと、簡単に崩れてしまいそうになります。

 

まだ3歳くらいだと、自宅でのパソコン仕事も農作業も子守りをしながらは正直難しい。思うように仕事が出来なくて、イライラしてしまうもあります。けれども自分たちが望んで、このような暮らしをしているから、そこを上手に受け入れて日常を送っていくしかありません。もっと大人にならないといけないよなと、反省をする日々です。

 

都会での子育てをしたことがないからわかりませんが、東京で人が溢れる地下鉄をベビーカーを押している方なんかを見ると「おお、、すごいな、、」と思ってしまいます。鳥取は車社会ですし、単純に人が少ないので目には見えない、何とも言えないあの都会のストレスを感じることはあまりありません。それは良い点かも。

 

自分たちがこのような環境で育っていないから、これからどんな風に育っていくのかも楽しみです。大きくなって都会に出たければ、( 親がこれだから )それを止める理由なんてないし、たくさんの選択肢を持って欲しいなと思います。

 

 

■ 集落の暮らしについて


ここでの暮らしはグーグルで調べてもわからないことばかりです。だからこそ、「わからないことはわからないから人に聞く」といことが大切になります。それが出来る人は暮らしていけるし、出来ない人は暮らしていけない。そうやって、人に聞くということで集落の方々にも、自分たちと関わるきっかけが生まれます。思えば、何もわからなかったのが良かった。

 

僕が協力隊時代の最初の一年間、妻は単発の選果場のバイトをしたりして定職にはつかず、集落のお母さん方の集まりに参加をしていたこともあり、普段は関わることの少ないお母さん方とも仲良くなることが出来ました。


そして、30,40代のアニキたちが伝統芸能や獅子舞に誘ってくれたこと、大家さんに恵まれたこと、子どもが生まれたこと。そんな様々な要素がタイミングよく訪れた様に思えます。
協力隊の期間があったからこそ、時間の余裕も生まれ、町外に勤めていたらなかなか会うことが出来ない地元の人たちと出会う機会、何か一緒にやる機会を多く得ることが出来ました。

 

 

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集落の年間行事をまとめてみました。まる一日拘束な行事は少ないのですが、予定を空けておかないといけない日(逆を言えば仕事を休まないといけない日)がたくさんあり、年間で1ヶ月分くらいは消費していることに。これに加えて、保育園や町のこと、個人的な予定や仕事が入ると、休みらしい休みはなかなか取ることが出来ません。

 

けれども、こちらに来ていろいろな「仕組み」を知りました。水はどうやって流れてくるのだろう。だとか、どうやって道が出来るのだろうか。とか。都会に居れば税金によって、知らない誰かがやってくれていたであろうこと。こちらに来て自分たちの暮らしている場所は、自分たちで守っていくという意識も芽生えました。

どうしたってここで暮らしていく以上はやらないといけないこと。集落の消防団、自警団での話し合いはそんな思いが伝わって来ます。

 

けれども子育て世代には時間が取れずに、正直厳しい面もあります。以前は役員も経験し、ほとんどのことに出ていましたが、現在は出れるものには率先をして出る。というようにさせてもらっています。

 

ここに来れたことは偶然だけれども、僕らはこの集落に来ることが出来て良かったし、この集落の人たちが好きです。いろいろな分野のプロフェッショナルがいて、それぞれの得意なことでこの場所を守っている。これから自分には何が出来るのだろうかと。

 


■ 鳥取のいやなところ


これは当日の来場者の方から、それぞれへの質問でした。
短い時間で話したところ、なんだかただの「文句ったれ」みたいになってしまい、少し反省しました。
この時に回答をしたことが、ざっくりいうと「いつまでたっても若者で、認められることがない」ということでした。


30歳を過ぎて、世の中的には良い歳なのですが、ここにいるといつまでたっても若者扱いを受け、やることなすことを認めてくれない人も中にはいます。

 

例えば、僕らが製造をしている「どぶろく どんでん返し」。「まずい、酸っぱい、腐ってるんじゃないか、こんなもんどぶじゃねぇ」などのお言葉を頂くことが、発売から3年経った今でもあります。

別にそのようなところに認められたい訳ではないけれども、あまりにも直接的にネガティヴキャンペーンが行われたりするので、心を削られることもあります。

 

外から見たら「UターンとIターンの二人で特産品を作った」と聞こえは良く思われるかもしれませんが、そのようなものも地元ではあまり受け入れられないことが、どの地域でもあるという話をよく耳にします。

 

それでも、町内に応援をしてくれる人もいて、町を出れば、県内、県外の人でも購入をしてくれたり、興味を持ってくれたり、応援をしてくれる人がたくさんいます。そういう方々を大切にすること、そして実績を積み上げて継続をしていくことが、僕らのするべきことだと思えるようになりました。

 

小さい町、少ない人口であるからこと、どんな小さなこと ( ニュース ) でも拾い上げて、町民みんなで盛り上げていけるようになれば良いのではないかと思うけれども、それもなかなか難しいのが実情です。

いつかはそんな風になれれば良いなと思うのです。それには続けていくことが大切であり、続けるためには結果を出していかないといけません。

 

あといやなところは、おでんに必須なちくわぶが手に入りづらいこと、車のウインカーを出さない ( 曲がりながら出す ) こととかです。

 

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自分のような都会生まれの人間が、農村で「普通に」暮らすことが出来るようになるのは大変なことです。田舎のスーパーマンになんかなれなくてもいいから、この集落の一員としてここで「普通に暮らせる人」になりたいと思うのです。


協力隊時代に研修でそんな話をしたら、「意識の低いやつめ」みたいな雰囲気になったこともありました。それから、研修とかには進んで出なくなりました。


僕は「生活」をすることが出来ている人が一番強いと思うし、そういう人が格好良いと思うし、何よりもそういう人が好きだから。

 

 


久々に東京に帰って、たくさん街を歩いて、色々なものを見て。僕は東京が好きだと思いました。気がつけば3日間で40kmくらい歩いていました。こんなにも面白い街はない。


けれども、今、生活をする場所、働く場所としては鳥取が良いなぁと思えました。それは、今の自分に合っているということ。

 

一概に「地方が良い」とかは言えません。仕事においても、生活においても「都会には都会の戦い方」があって、「田舎には田舎の戦い方」があるのですから。
どんな仕事であろうと、一部を切り取って、良い感じの文章と淡い写真で飾れば、それとなく「すてきなしごと」に見えるわけで。

 

その人自身に、どちらが合っているか合っていないかだけだと思うのです。

 

 

 

 

今回、誘っていただいた鳥取商工会議所の佐藤さんをはじめ、林さん、吉井さん、中川さん、来ていただいたお客様、tiny space kitchenのスタッフさん、情報をシェアしてくださった皆様。本当にありがとうございました。また、必要とあらばお声がけください。

こちらに来て5年目。今までのことを見つめ直したり、初心を振り返る良い機会を頂くことが出来ました。ありがとうございました。

 

阿久津和也