とっとりで暮らす

東京から鳥取へ。佐治町という小さな町に引っ越した人のブログです。

梨の販売を始めました

農家になりたくて鳥取へ引っ越し6年。

なんやかんやありまして、今年より梨の販売を始めることが出来ました。

 

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鳥取県東部の佐治町で育てた「豊水(ほうすい)梨」です。

甘みと酸味のバランスが絶妙で、関東出身の私は「これぞ梨!」と思える味の品種です。
袋をかけない「無袋栽培」で日光をたくさん浴びました。防蛾灯で虫の対策もしています。

 

梨は大きいほど美味いと言われるので、4L(460g)以上の大玉を厳選してお詰めいたします。
5kg箱詰めで約12玉となります。

 

糖度が高く品質が落ちやすい梨ですので、冷蔵庫や涼しい場所での保存をお願いします。冷蔵庫で冷やして食べると一段と美味しくいただけます。

 

 

梨の収穫開始

先週より梨の収穫開始!先輩農家さんと一緒に作ってもらったオープン軽トラが大活躍。

 

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しかし、先日の台風通過で多くの梨が落ちた。まわりの話を聞くとまだ全然良いほう。それでもうん万円分は失った。

月曜日に来るという台風10号で、冗談ではなく全部の梨が落ちてしまうかもしれない。

 

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一年間世話をしてきて、収穫は約二週間。そこに台風が直撃するなんて。非情なもんだ。
今年からの出荷なので実績がなく共済も掛けられない。梨が落ちたらゼロ。一円にもならない。

 

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とにかく今できることをするしかないので、獲れるだけとりまくる。
楽しみにしてくれる人がいるのでネット販売は色と形がノッてくる10日過ぎにしようかと思っていたけれど、もう収穫して販売ページもこしらえる。

 

今年はネットでゴイゴイ売りたいわけではないので、数量限定で。頑張ってとるぞ!それにしても暴力的な暑さだ。

近況

ブログが更新出来なくなってしまった。

鳥取を離れたわけでもなく、農業をやめたわけでもない。

 

昨年より1年間地元の梨農家さんで修業をして果樹園を譲渡して頂き、今年から梨農家として生産し販売をしていくことになった。それは今も変わらないのだけれども、急遽3月に地元の企業で働かないか?というお誘いを受けた。

果樹園や畑と週5の仕事を両立することなんて出来ないだろうと思ったけれども、会社の人と梨の師匠とも相談をして、働きながら梨が出来るようにサポートをしてくれるという条件で、その話を受けることにした。

 

家族を養っていかないといけないから、安定的な収入があることは第一で、様々な技術も身につけることが出来るということも大きかった。自分に足りないのはお金と技術だということはわかっていたから、有難い話だ。

 

働き始めてまだ4カ月。この仕事が続けていけるのだろうか。

確かに安定的な収入があること大きい。

けれども極端な話、梨と畑が出来れば仕事なんて、気持ちよく働ければなんでも良いのではないかと思い始めた。そして何よりも身体や健康が大事だ。このままだと本当に身体が壊れてしまいそうだ。

 

なんとか梨は収穫まで辿り着くことが出来た。もうすぐ一番楽しみな収穫が始まる。

もっともっと梨の勉強や作業をしたいと思ってしまう。なんだか中途半端じゃないか。と自分に思ってしまう時がある。自分の知らぬ間に「言わないけれどもこれをしてくれているな」と気が付いてしまうことがある。自分で気がついてやらないといけないことなのに。教わることが出来る時間は限りがある。

 

妻が梨を手伝えばいい。という意見を言う人も中にはいる。妻は働いて家計を支えてくれているし、忙しい作業も手伝ってくれた。保育園が休みの日には娘を職場に連れて働いている。娘だってみんなで遊びに行きたいだろうに、そんな形で協力をしてくれている。

うちはここが実家なわけでもなく、家のことをしてくれる人は自分達以外にいない。家にはそれぞれの事情や環境がある。

 

急遽出来た盆休み。最近は炎天下の外仕事に忙殺をされて、朝も起きれなければ、仕事終わりに自分のことが出来る余力がない。毎日が体力の限界だ。

正直、休みの日に草刈機を持ちたくないけれども、午前中に自分の田んぼの草刈りを済ませて、休憩中にこれを書いてみた。

これから果樹園に行こう。果樹園で仕事をしている時は最高に楽しい。活きた仕事をしていきたいよ。だから東京からここに来たんだ。

 

ひとりひとりの意識

週末の鳥取の街は異様に車が多くて、県外ナンバーの車をたくさん見かけた。普段は滅多に見ない東京や北陸のナンバーもたくさん。
皆が皆「鳥取や島根だったら感染者がいないから遊びに行っても良いだろ」という意識ではないかもしれないけれども、その異様な光景に何だか恐ろしくなった。

 

僕らも地元には行きたくても行けない状態。家族にも「うちに来なよ。」とも言えない。人口1,800人、高齢者が約半数を占めるこの町にもし持ち込んでしまったら大変なことになる。大変なことどころではない。
普段、遊びに手伝いに来てくれる友人にも、今は時期が悪いと断ってしまった。何もなくとも不安に感じる人がいないわけではないから。

 

もちろん差別も偏見もあってはならない。ひとりひとりの意識が、この事態を良い方向にも悪い方向にも動かしていくのではないか。けれども、これは全国に拡がるのも時間の問題かと思ってしまった。

 

とりあえず実家に米を送ろう。マスクは鳥取にもない。もはや農薬散布用のマスクすらない。梨の防除が始まったから欲しいのだけれども。農協に聞いてみよう。

 

Twitterで炎上しているけれども、毎日新聞の記事は軽率だなあ、、と思ってしまう。初稿では「隠れた人気」と書かれていた。

感染者の確認ない鳥取・島根 外出自粛の都市部から観光客も 新型コロナ - 毎日新聞

梨の剪定・誘引作業

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あっという間に春が来る。一番の楽しみにしていた、春風亭一之輔の独演会は中止となってしまった。

冬場は梨の先生についてまわり、梨の剪定と誘引を教わった。初めはついて見るばかり。
これは自分でやらんとわからん。わからんことがわからん。とりあえず、持っている知識で一本二本の樹に取りかかって見た。わからないことはその度に聞きながら。

 

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剪定は不要な枝を切り払い、枝と枝が被らないように配置をする。満遍なく日光が当たるように。下から覗いてみる。綺麗な配置になっていると嬉しい。

 

誘引は、紐で棚に固定をしたり、伸ばしたい角度に枝を固定していく。樹は上へ上へ伸びようとする性質がある。まっすぐ太く、上にばかり伸びてしまうと、伸びることに栄養を使ってしまい葉っぱしか出ない芽「葉芽」ばかりになってしまう。良い芽の起きた、適切な太さの枝を引っ張って、45度くらいに誘引をすることで、樹を頑張らさせて枝に花芽を着けさせる。

実を採る枝、翌年以降のために育てる枝、今年だけで使い切る枝、採りながらも育てる枝。よく考えながら行う。考えすぎると作業が進まない。

品種によっても枝の使い方や、結果のさせ方が違う。アナログなプログラミングみたいだ。細かな樹の性質に対する知識はまだまだだけれども、わかって来ると面白い。

 

今後、花が咲いて、結果して、葉っぱが茂る。その姿を見ていったら、こういう風に切った枝はこんな風に伸びて成長するんだな、というのがわかって来るはず。楽しみだな。

樹を毎日見なさい。樹と仲良くなりなさい。と言われた所以がよくわかる。


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剪定、誘引には剪定鋏と鋸をつけたバッグを腰に着けて、糸玉にした誘引紐を入れたリュックを背負って行う。リュックの肩ベルトにホースの切れ端を付けて紐を出しやすくする。これがあるだけで作業のスピードが全然違う。すごいアイデアだ。
皆、ビンテージになった格好良いリュックを背負っているので、僕も高校生の時に購入したノースフェイスを育てていくことにした。

 

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仕上がった園を確認しながら何度も周る。なんて綺麗なんだろうと惚れ惚れする。

この町で農業をして暮らしたい

アスパラ栽培をやめることにした。という記事を書いてから、更新が滞ってしまった。農業を諦めた人のブログみたいになってしまった。「アスパラやめてなにしとる?」とよく聞かれる。このブログは色々な人が見てくれていたんだと思い出した。

 

今年の3月から、地元の梨農家さんに通い梨の栽培を教わっている。野菜の栽培だけでは、なかなかうだつのあがらない僕に声を掛けてくださった。そして、来年から一つの梨園を譲渡していただくことになった。


ほぼ一年中続く梨の栽培に手を出すこと。以前は少し躊躇していたけれども、今は「この町で農業をして暮らして行きたい」という気持ちが一番強くなっていた。広大な平地の農地が少ない生産効率の悪い佐治で農業を生業とするのであれば、梨なのではないだろうかと考え始めた。野菜だけでは厳しいことはわかってはいたが、それは想像以上であった。

 

8月の終わりごろから、群家町にある梨の共同選果場にアルバイトに出させてもらった。部署は選果でレールを流れてくる梨の良し悪しを見極める。約一ヶ月間、たくさんの地元の人たちが出てきて梨の出荷作業を行う。賃金は最低賃金だけれども農家仕事の延長で賃金が頂けるのはありがたかった。毎日毎日大型の輸送トラックで梨が全国へ運ばれていく。こんな人たちで特産品というものは成り立っている。自分が思っている以上に、「鳥取の梨」というのは価値があるものなのだなと思わされた。梨は自分が思っている以上に果物界のヒエラルキーが高い。

 

とはいえ、品種によって違う剪定の技術など高度な技術が必要とされる梨の栽培。しばらくは先生について教えてもらいながら、そして自分の園も作って行きながら、独り立ちが出来るように頑張る。

先日、「剪定研究会」という地元農家の有志の会に参加をさせてもらった。皆、何十年も栽培を続けている人たちが、あーでもないこーでもないと和気藹々と意見を出し合い作業を行なっていた。基本はあるけれども一つの正解はない。人によっても剪定方法が違う。そんな様子を見て良い仕事だなと思った。僕はまず教えてくださる方の剪定方法を継承して行きたい。大切な園、樹を受け継ぐということは生半可な気持ちでいてはいけない。あと10年もしたら、農家の数は半分以下になっていく。それまでに教われることは教わっておかないといけない。

 

これからはスマート農業だのICTだので、作業の省力化が推進されている。とても素晴らしいことではあるけれども、基本は人の力だと思う。小さな農家ほどそれが大切になる。農業は自分が想像していた以上の人の力が必要とされる。そんなこと出来るのかと思っていたことも、きちんと教わり一緒に作業をさせてもらうことで出来るようになる。百聞は一見にしかず。想像は行動で超えることが出来る。

 

田んぼの管理や稲刈り補助、竹林の整備、チェーンソーや草刈機での作業、道具のメンテナンス、廃園の処理、梨棚の作り方など地元企業でアルバイトをしながら身につけさせてもらっている。ありがたい話しで、こんな企業があってよかったなぁと思う。

 

引き続き米や野菜の栽培も行なっていく。梨の作業と被らないような作物の選定をする。少しの足しにはなるだろうし、今までずっとしてきたことでもあるから、出来るものを出来ることをやっていこう。

 

皆が当たり前に食べているものを作っているのに「農家」になるのは本当に大変だ。昨今の新規就農者の7割は辞めていくなんて話を聞いたことがある。気持ちは大いにわかる。でも負けたくないよなぁ。

 

梨をきちんと作れるようになって、余裕を持って年末年始に実家に帰れるようになりたい。孫の顔を見せないと。

アスパラの栽培をやめることにした

栽培を始めて5年。面積を約2反に拡大をして4年。どうしても露地アスパラの難病( 茎枯病 )に勝つことが出来なかった。

栽培を始めて2年目は調子が良く、これならいけるかもしれないという兆しがあったが、翌年、翌々年と病気の発生を抑えることが出来なかった。この病気は発生をしたらほぼその茎は枯れてしまう。病気が目に見えた時点で、その茎は諦めて新しい茎を伸ばさないといけない。伸ばしている間はその茎からの収穫は出来ないし、来年への養分の蓄積も減り、年々株が弱っていってしまう。

 

アスパラは毎年植え替えをしない永年作物なので、病原菌が土壌に蓄積をされてしまう。そのために、株のバーナー焼却や石灰窒素による殺菌を試みてきたものの防ぐことが出来なかった。

 

今年からは、面積を半分以下にして管理のしやすいように試みた。

昨年からの根の養分の蓄積が少ないので、春の収穫もそこそこに。5月の頭から毎週一回の防除を行ったし、定期的な草取りなども行ってきた。それでも湿気が多く蒸し暑い日がくると、一気に病気が発生をした。こりゃあかん。

アスパラ栽培は好きだし、続けたい気持ちはあったけれども、ここまでして駄目だったのだから、もう諦めようと決心がついた。一番時間とお金をかけて、一番稼ぎの少ないものは諦めるしかない。そんな7月のはじめのこと。

採れたてのアスパラは最高に美味しいから、食べられなくなるのは少し残念だけれども。

 

それからは、出てくる分だけ収穫をさせてもらって、あとは他の作業に時間をまわすことにした。身体を休める時間も作ることが出来た。昨年まで、真夏の炎天下の中一日中草取りをしていた。見事に体調を崩していた。

 

最近の流れは、早朝に収穫に出る。家に帰宅し朝食をとって、娘の保育園の準備をさせる。妻と娘を見送る。15分くらい横になってから作業に出る( 重要 )。お昼に帰ってきて、昼食をとり出荷の作業をする。少し休んで、涼しくなった15時くらいにまた作業に出る。夕方に出荷に出る。

こんな流れだけれども、昨年よりも身体は楽だし、作業の効率も稼ぎも良くなった。毎日、暑い時間に無理をして外作業をするものではないなと学んだ。

 

諦めるところは諦める。次を考えて動いていく。休むときは休む。

 

アスパラを買ってくださった皆様、ありがとうございました。

 

 

5月に山の畑に定植をしたズッキーニはぐんぐんと成長をして、6月の半ばから収穫を開始。アスパラの収穫と共に毎朝の人工交配をした。支柱に側枝をくくりつけてまっすぐに仕立てる立体栽培に挑戦をしたけれども、成長スピードに追いつけずに断念。

 

ズッキーニはだいたい50日くらいで実のつきが悪くなると言われるように、それくらいで収量は減った。病気の発生がありながらも、新しい葉っぱを広げて次々と根っこを出していく。すごい生命力だ。

約2ヶ月間毎日収穫が出来て、販売の単価も良い。大きいものであれば一本80円で買い取ってもらえる。来年はもっと定植数を増やしていこう。品種は「ゼルダ・ネロ」という伝説みたいな名前。葉柄に刺が少なくて収穫もしやすいし、変色も少ない。色がとても綺麗で味も良い。

 

ズッキーニが落ち着いてからは、ナスとピーマンの収穫を始めた。新しくお借りした畑の準備が少し遅れてしまい、6月の10日頃の定植となってしまったが、7月の20日ごろから収穫が出来た。定植には友人の太一が手伝ってくれた。「今年はナスの調子が悪い」とあちらこちらからそんな話を聞く。それを思えば多少、定植が遅くて良かったのかもしれない。

それでも猛暑が続く日には、エンジンポンプを使い畝間にドバドバと冠水をしている。田んぼの時期には水が取れる圃場でとても助かる。下の田んぼを作られている方に、出来れば9月頃までは水を流しておいてください。とお願いをしておいた。

 

なすの品種は「黒陽」という暖地向けの種を購入して苗を作っている。最近の暑さならばここでも大丈夫だろうし、何よりも美味しいナスビだ。しかし今年は思ったように発芽せずに、予定していた株数の半分以下となってしまった。3月から始まる野菜づくり。遅れたものを補填することはなかなか出来ない。

 

ピーマンはあまり初期の調子が良くなかった。品種は「京みどり」。斑点細菌病の発生、実の付きもイマイチだし、肉厚なものがなかなか出来ずにいた。尻腐れが少し見えた。カルシウム不足だ。

ナスとピーマンには、亜リン酸肥料のホスプラス、カルシウム肥料のカルクロンを定期的に散布。亜リン酸は葉っぱから直接吸収を出来るので効き目が早い。窒素を抑えて実や根を強くしていく方向にしてみたところ、目に見えてだんだんと良くなってきた。無色透明無臭の液体なので撒きごたえ(?) はあまりないが、確実に良い実を付けるようになってきた。効き目が見えてくると嬉しい。

 

現在、野菜は市場に出荷をしているが、ナスが一袋80円(良くて100円)、ピーマンが一袋50円の買取り。一日にピーマンを40kgくらい出さないと1万円に届かない。夏はナスとピーマンで税金を納めたいものだ。

 

農業を始めてわかったことだけれども、野菜の値段、買取は安い。世の中がやれ給料が上がっているだの景気が良いだの言っても、野菜の買取はほとんど変わらない。100円だったアイスクリームやポテチが知らぬ間に140円になって内容量が減ってる中、野菜の値段はそこまで変わっていない。災害や天候不順がないと買取値は上がらない。少しでも上ると、テレビでは野菜が高い高い!と騒ぎ立てる。

 

この間、テレビ番組で一人で一丁(約10000平方メートル)以上の米を作っている農家が、「これだけでは全然生活が出来ない。」言っていた。それを観たMCの所ジョージが「これだけ作って生活が出来ないとかおかしいでしょ!」とコメントをしていた。そう思うよね。

 

文句を言っていても仕方がないから、この状況を打破するには自分でなんとかするしかないけれども。

 

来週からは梨の選果場でのバイトが始まる。