地元は水門がたくさんあってよく撮っていました |
東京の東の果て、江東区という下町で生まれ育った僕が、世田谷区という聞こえの良い場所に引っ越したのは22歳の時でした。
そこで初めて実家を出て、一人暮らしを始めました。
引っ越しをした大きな理由は、やはり仕事の面。(アルバイトでしたが)
毎日毎日、乗車率200%を超える満員電車に乗って帰るのはかなわん。これでは実家から通うのは困難だなと思い、引っ越しを決意したのでした。
引っ越した街は、京王線の下高井戸という駅の近く。ここの引っ越してきて世田谷区のイメージが変わりました。
今の開発されすぎた下町よりも、もっと人情味があって、個人店が頑張っている温かい町だな。と感じました。そして下町の人間よりも、みんなお上品。
そして初めてひとりで暮らしてみて、気が付いたことがあったのです。
自分が暮らす街や人をもっと好きになれば、生活はもっと楽しくなるはず。
たくさんではないけれど、ふらっと行って話が出来る人やお店を作ったり、西友も便利でしたが、なるべく買えるときは個人商店で買い物をしたり。今から飲もうよ!と言って誘える友達を作ったり。
東京という街の面白さにも気が付くことが出来たのは、この時期があったからで、本当はまだまだやり残した事があったり。
土日がほとんど休みではなかったので、街のイベントにはなかなか行くことが出来なかったのが心残りでしたが。
そうやって生活をしていくうちに、その街が自分の居場所になります。
4年間しか住んでいませんでしたが、下高井戸は自分にとっての故郷のような街になりました。あそこに行けば誰かがいる。だからこちらに来る時も、特別寂しいという気持ちにはなりませんでした。
都会と田舎もそうですけれど、都会の中でも合う合わない街はあると思うので、暮らす場所をきちんと選択することで、無駄なストレスは軽減させられるのではないでしょうか。
”適材適所”という言葉がありますが、人も仕事も住む場所も、自分にしっくりくるものが良いよ。
鳥取に来て余計なことを考えなくなったので、僕にとっては適所なのかもしれません。
僕が作った「住む街」という曲です。
良いことも悪いこともひっくるめて作る自分の色。
アパートの大家さんとも良い関係でしたのに、退去後エイブルの金銭トラブルに巻き込まれそうになったのは残念な話。