とっとりで暮らす

東京から鳥取へ。佐治町という小さな町に引っ越した人のブログです。

この町で農業をして暮らしたい

アスパラ栽培をやめることにした。という記事を書いてから、更新が滞ってしまった。農業を諦めた人のブログみたいになってしまった。「アスパラやめてなにしとる?」とよく聞かれる。このブログは色々な人が見てくれていたんだと思い出した。

 

今年の3月から、地元の梨農家さんに通い梨の栽培を教わっている。野菜の栽培だけでは、なかなかうだつのあがらない僕に声を掛けてくださった。そして、来年から一つの梨園を譲渡していただくことになった。


ほぼ一年中続く梨の栽培に手を出すこと。以前は少し躊躇していたけれども、今は「この町で農業をして暮らして行きたい」という気持ちが一番強くなっていた。広大な平地の農地が少ない生産効率の悪い佐治で農業を生業とするのであれば、梨なのではないだろうかと考え始めた。野菜だけでは厳しいことはわかってはいたが、それは想像以上であった。

 

8月の終わりごろから、群家町にある梨の共同選果場にアルバイトに出させてもらった。部署は選果でレールを流れてくる梨の良し悪しを見極める。約一ヶ月間、たくさんの地元の人たちが出てきて梨の出荷作業を行う。賃金は最低賃金だけれども農家仕事の延長で賃金が頂けるのはありがたかった。毎日毎日大型の輸送トラックで梨が全国へ運ばれていく。こんな人たちで特産品というものは成り立っている。自分が思っている以上に、「鳥取の梨」というのは価値があるものなのだなと思わされた。梨は自分が思っている以上に果物界のヒエラルキーが高い。

 

とはいえ、品種によって違う剪定の技術など高度な技術が必要とされる梨の栽培。しばらくは先生について教えてもらいながら、そして自分の園も作って行きながら、独り立ちが出来るように頑張る。

先日、「剪定研究会」という地元農家の有志の会に参加をさせてもらった。皆、何十年も栽培を続けている人たちが、あーでもないこーでもないと和気藹々と意見を出し合い作業を行なっていた。基本はあるけれども一つの正解はない。人によっても剪定方法が違う。そんな様子を見て良い仕事だなと思った。僕はまず教えてくださる方の剪定方法を継承して行きたい。大切な園、樹を受け継ぐということは生半可な気持ちでいてはいけない。あと10年もしたら、農家の数は半分以下になっていく。それまでに教われることは教わっておかないといけない。

 

これからはスマート農業だのICTだので、作業の省力化が推進されている。とても素晴らしいことではあるけれども、基本は人の力だと思う。小さな農家ほどそれが大切になる。農業は自分が想像していた以上の人の力が必要とされる。そんなこと出来るのかと思っていたことも、きちんと教わり一緒に作業をさせてもらうことで出来るようになる。百聞は一見にしかず。想像は行動で超えることが出来る。

 

田んぼの管理や稲刈り補助、竹林の整備、チェーンソーや草刈機での作業、道具のメンテナンス、廃園の処理、梨棚の作り方など地元企業でアルバイトをしながら身につけさせてもらっている。ありがたい話しで、こんな企業があってよかったなぁと思う。

 

引き続き米や野菜の栽培も行なっていく。梨の作業と被らないような作物の選定をする。少しの足しにはなるだろうし、今までずっとしてきたことでもあるから、出来るものを出来ることをやっていこう。

 

皆が当たり前に食べているものを作っているのに「農家」になるのは本当に大変だ。昨今の新規就農者の7割は辞めていくなんて話を聞いたことがある。気持ちは大いにわかる。でも負けたくないよなぁ。

 

梨をきちんと作れるようになって、余裕を持って年末年始に実家に帰れるようになりたい。孫の顔を見せないと。